2024年10月17日木曜日

あそびは平和を創る ~森のようちえん・がっこう ~コラムvol.2~

「クタクタになってあそび、食べて、寝る!」 
さすれば平和は創れる。そんな理想が現代で叶うとうれしいですが、現実はそうではありません。  


 ウクライナ・ロシアの戦争は、約1年半にも続いています。世界各国を見渡せば、紛争、内戦、支配等、目に余る惨劇が今もなおつづき、多くの子どもたちや無抵抗な市民が巻き込まれています。  
 
日本国内では戦争は起きていません。しかし大変悲しい現実があります。一見平和に見える日本。ではなぜ生きづらさを抱える人、自ら命を立つ人が多いのでしょうか。それは「無関心」です。  
 人間関係が希薄し、個人主義、学歴社会などまさに資本主義から生まれた競争社会は、物の豊かさと引き換えに、人と心のつながりを切り離していきました。今日では、見えない他者に誹謗中傷するなどSNSの問題は、あきらかに“感情の劣化”といっても過言ではありません。

  さて、タイトルの話にもどります。フランスの哲学者“ジョルジュ・バタイユ”は『呪われた部分~普遍経済学論~』の著書の中で、「過剰」という言葉を用いています。太陽は、見返りを求めず、自らを破壊し、エネルギーを放出し、過剰な熱と光を地球に降り注いでいます。そして善人にも悪人にも平等に陽を浴びさせることができ、これを「純粋贈与」と呼びます。  そして過剰の太陽エネルギーをもとに、植物、動物そして人間は生成され、この循環こそが、経済の根本だとバタイユは唱えます。

  しかし、産業革命後、世界の主流は資本主義社会となり、物を売って得た富は、贈与ではなく、増殖させ、富を持つものがさらに富を得るシステムへと変わり、格差がうまれていきます。過剰=「純粋贈与」の形が姿を変え、人間のもつ過剰エネルギーは、自分のためにつかい、他者への攻撃にかわり、誹謗中傷、いじめ、偏見、差別、そして戦争につながると説きました。 (だいぶ過程は省略しています)

  そのため、森のようちえんの野外教育では、まずあそびを通して身体性を伴う体験を徹底的に森(自然)の中でします。 
 なぜ自然なのか。「自然は中立」だからです。石川県の例のように年始の大地震を受け、市民の方のがんばりや全国の方の支援の中、少しずつ復興し、仮設住宅が整ってきた矢先に豪雨による被害。私たち人間がいくらがんばっても祈っても自然は容赦なく私たちにその強大な力を見せつけます。
出張先のバンクーバーYMCAのキャンプ場 
クジラの出る海でマリンプログラムが実施されます

  森で遊ぶことは、私たち人間が自然に適用していかなければ容易に踏み入れることはできません。そのような環境下であそぶということが、五感や脳をフルに使い、過剰エネルギーを創出します。そして精神性を伴う体験、そう他者とのつながりの中で、その過剰エネルギーを使い、贈与していくのです。要は他者(人や自然、動物)に思いを寄せていくのです。 



  だから、子どもの時には、とにかくあそんで、おなかがすいたら食べて、そして寝る。これが平和を創るための幼少期の大切な時間であると私は信じています。

  藤沢YMCA田北(たっきーリーダー)